メルマガ・広報誌

vol.54 (08月25日)

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◎ パプアニューギニア独立40周年祝賀親善ゴルフ大会開催のお知らせ
  
  日本パプアニューギニア友好議員連盟
  在日 パプアニューギニア大使館
  日本パプアニューギニア協会   共催
  日本国外務省、PNG外務省 後援

  別添のとおり11月6日(金)に大月カントリークラブにて
  独立40周年祝賀親善ゴルフ大会が開催されることとなりました。

  詳細は添付ご案内(表、裏)をご参照いただき、ふるってご参加ください。

  皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。  

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◎ 戦後70年 語り継ぐ(2)記憶のバトン伝達 悲惨な体験と向き合う (20150804)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20150804/CK2015080402000171.html
 「船がばくげきをうけ、人が海に投げ出される様子はまるで水にうかぶナスのように無防び」
「いっしょに山をこえて野宿した仲間が、次の日の朝、となりでなくなっていた」
吉田愛美さん(11)=藤岡市立美九里東小五年=は、母純子さん(41)から聞いた
曽祖父の戦争体験を生々しく描写した。
曽祖父中野一郎さんは、太平洋戦争の激戦地となった東部ニューギニア(現パプアニューギニア)戦線に出征。
二〇〇八年に九十三歳で亡くなった。
純子さんは小学校高学年の時、新聞やテレビで戦争に関心を持って祖父に尋ねたことを覚えている。
「相手と戦わないと、生きていけなかった。そんな戦争の現実を、
子どもの私を気遣って言葉を選んでくれていたように思う。
ゲートルの巻き方も教えてくれました」と純子さん。
「私たちは戦争を知らない世代。祖父にもっと聞いたり、記録しておけばよかった」と悔やむ。
作文をきっかけに、純子さんは愛美さんと戦争について話し合うようになった。
「今こんなに平和に何不自由なく生きられ、食べられることが、ありがたい」。
祖父のそんな生前の言葉や戦争の記憶も伝えた。
愛美さんは戦争の放棄をうたった憲法九条について「いろいろな話し合いや運動が起きています」と触れ、
率直な思いをこうつづった。
「戦争を知らない人達が、戦争で苦しんだ人達の声を聞かないで、
なんでも勝手に決めてしまうのはとてもこわいことです。
わたしはぜったいに戦争をくり返してはいけないという思いを伝えたいです」
戦後の安全保障政策の大きな転換につながる安保法案が国会で審議されている。
二児の母の純子さんは「戦争をする国になって自衛隊に入る人が少なくなったら、
徴兵制になることはないのか」と心配する。
藤岡市遺族の会が二〇一四年に募集した「戦争と平和についての作文・感想文コンクール」の
作品について、一部を遺族の会の了解を得て原文のまま紹介します。 (大沢令)

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◎ 政府系企業、海外資産の購入を継続 マレーシア 
http://response.jp/article/2015/08/05/257243.html
マレーシア政府は今年1月に、政府系企業(GLC)などに対して海外資金流出をさけるため
海外資産の購入をしないよう指示したが、GLC2社が指示を無視して資産を購入していたことがわかったと、
マレーシアン・インサイダーは報じている。
また3社以上が海外資産の購入に関心を示しているという。
マレーシア政府は、GLCと国策機関に対して国内投資を優先して行うよう指示。
国内投資により国内に資金を留めることができると説明していた。
また昨年12月にも財務省は国内消費を促進し、資金の海外流出を減少させるため、
海外資産の取得を停止するよう求めていた。
フェルダ・グローバル・ベンチャーズ・ホールディングス(FGVH)は、
インドネシアのアブラヤシ農園の株を買収した。また、サイムダービーも
パプア・ニューギニアのアブラヤシ農園の買収手続きを終えたばかり。
一方でアクシアタ・グループやマレーシア・エアポーツ・ホールディングス(MAHB)、
UEMグループがベトナムやインド、インドネシアにおいて株式の購入などを検討しているという。
また従業員積立基金(EPF)も、向こう3年間をかけて海外投資を3%拡大する方針を表明している。

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◎ ニューギニア:野ざらしの戦友、故郷に 遺骨収容の元兵士 (2015年08月10日)
http://mainichi.jp/select/news/20150810k0000e040208000c.html
 死後はパプアニューギニアに埋葬してほしい??。太平洋戦争の激戦地だった東部ニューギニア
(現パプアニューギニア)で極限の戦場を生き抜いた西村幸吉さん(95)=埼玉県加須(かぞ)市=は、
1979年に現地に移住して四半世紀も遺骨の収容を続けた。戦況が不利になると置き去りにされ、
野ざらしのまま放置された兵士たち。「国のために戦い、使い捨てにされた」。
終戦から間もなく70年がたつが、西村さんの心は故郷に帰れなかった戦友たちとともにある。
 西村さんは高知県出身。21歳で陸軍南海支隊歩兵第144連隊の小隊に配属され、
東部ニューギニアへ。支隊約1万4000人は42年7月、上陸した島北岸から
4000メートル級の山々を越えて島を縦断し、直線距離で200キロ離れた連合国軍の拠点
・ポートモレスビーの攻略作戦に着手した。 
西村さんはオーストラリア軍との戦闘で右肩を撃たれ、飲まず食わずで3日間横たわっていた。
死を覚悟したとき、味方に発見された。小隊で1人だけ生き残り、はぐれた支隊を追いかけて
食料もなくジャングルを約10日間さまよった。
ようやく到達した自軍の陣地は連合国軍に包囲され、戦闘や病気、飢えで死者が増え続けた。
18キロ北西への撤退命令が出たとき、誰もが「傷病者は捨てられる」と悟った。
上官は苦し紛れに「骨は故郷に届ける」と口にして去った。
 西村さんは何とか生き延びて帰国し、戦後は金属加工会社を興して成功した。
だが、上官の「空約束」が頭から離れなかった。日本が復興や経済成長を謳歌(おうか)する間、
放置されたままの遺骨を少しでも集めようと、79年に一人でパプアニューギニアへ移り住んだ。
現地では収入がほとんどなく、生活を切り詰めて戦場だった草やぶを巡った。
体調を崩して86歳で日本に戻るまで、26年間で600?700柱もの遺骨を捜し出した。
 戦後50年を控えたある時、厚生省(現厚生労働省)から「遺骨を引き取りたい」と連絡があった。
訪れた職員に手渡す前、再度荼毘(だび)に付して骨を洗った。ポロポロとこぼれた粉を集め、
「一緒にお願いします」と差し出した。「いりません」。耳を疑った。
「何のために来たのか」。思わず声を荒らげていた。
「残りは観音様にお願いしよう」。帰国した後、赤銅製の仏像を自作した。
両手で抱いている玉のようなものは、頭蓋骨(ずがいこつ)だ。
「遺骨を弔うことで死んだ彼らの命に敬意を払いたかった」
 西村さんはジャングルに眠る戦死者を今も忘れず、命を軽んじてきた国への憤りを抱いている。【谷田朋美】

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◎ 終戦、私はそのとき 戦地で内地で 忘れえぬあの夏 (2015.8.15)
https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201508/0008304800.shtml

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◎ 浜松出身の大学生 政府の追悼式へ (2015.8.15)
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20150815/CK2015081502000093.html

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◎ 「なぜ戦争」県内経験者苦しみ今も 終戦70年  (2015.8.15)
https://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20150815_2

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◎戦後70年「上原敏母校で熱唱」

当会会員 矢野さまよりのご案内

前略 残暑厳しい候、皆様におかれましてはます益々ご健勝のこととお慶び
申し上げます。 今年は終戦から70年目の節目の年となりました。
「継続は力なり」の格言通り、昭和63年から皆様のご支援を得て続けてまいりました
この上原敏さんの会ですが、本年敏さんの母校(専修大学)より「上原先輩の
母校で戦後70周年の記念の会を実施されえては」との大変にうれしいご提案を頂き、
お言葉に甘え、敏さんが4年間通った神田校舎の教室をお借りいたしまして、
実施する運びとなりました。 今回は原点に戻り、昭和63年「敏さんの唄を聞く会」
スタート当時の作品をお聞き頂こうと予定しております。土曜の午後のひと時を、
ナレーター、志生野温夫アナウンサーをお迎えし、上原敏さんの美しい歌声、
前回好評だった下町深川の「名物団子」を存分に味わって頂き、暫しのお時間、
共に過ごさせて頂ければ幸いに存じます。 是非ご参加ください。  早々

             記

(日)平成27年10月17日(土) 
(時間)13時00分~16時30分終了
(場所)専修大学神田キャンパス(5号館4階 541教室)
    東京都千代田区神田神保町3-8  
    (03)3265-5879
(会費) 3,500円

 お問い合わせ、お申込み  矢野信雄 (090)7664-7446

上原敏さんは、先の大戦においてウエワクにて戦死された、昭和歌謡の歌手です。
詳細は次をごらんください
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E6%95%8F

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◎ 西江雅之追悼"おと"と"ことば"の集い のご案内

協会のトクトク会でもお世話になりました故西江先生の追悼の会が開催されます。
会事務局より次の通りご案内を頂きましたので、ご案内申し上げます。

日時:2015年8月29日(土) 13:00-15:00 (12:30受付開始)
会場:旧前田家本邸 洋館
   ○所在地 目黒区駒場4-3-55 目黒区立駒場公園内
   ○交通案内・京王井の頭線「駒場東大前」駅 西口下車 徒歩12分
         小田急線「東北沢」駅又は「代々木上原」駅 徒歩13分
         東急バス渋谷駅から幡ヶ谷駅行き「代々木上原」徒歩3分

誠に勝手ではございますが、御花料として10,000円を賜りたく存じます。
 御礼といたしまして、近日発売予定の「写真集 花のある遠景」をお持ち帰り
頂きます。

当日は平服にてお気軽にご参加ください。
お食事はご用意しておりません。お済ませのうえ、お越しください。
ジャズピアニスト山下洋輔さんのピアノ演奏、縁の方々のお話、映像などで
西江雅之さんの思い出を振り返り、送るひとときを過ごしましょう。

お問い合わせ 事務局 佐藤久美子  042-421-0406 (TEL/FAX)
bunchou@jcom.home.ne.jp

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編集後記

事務局が8月より次へ移転しております。 
電話番号等も変更となっております。 ご迷惑をおかけいたしますが、
よろしくお願いいたします。

夏本番も終わり皆様お疲れが出るころかと思います。
ご自愛くださいませ。


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【日本PNG協会 メールマガジン】

発行日:不定期
発行開始日:2015年8月25日
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【発行元】

日本パプアニューギニア協会事務局
東京都千代田区九段南2-2-1
エース九段ビル8階
TEL:03-5216-3555 FAX:03-5216-3556
MAIL:info@jpng.or.jp
HP:http://www.jpng.or.jp