メルマガ・広報誌

vol.123 (8月21日)

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◎ 当協会顧問 堀江正夫氏(102歳) 24時間テレビご出演のご案内

当協会顧問の堀江正夫氏が日本テレビ系列 24時間テレビにご出演になります。

日時:8月27日(日)0730頃(早朝)日本テレビ系列 全国ネット
 
東部ニューギニアでの遺骨収集事業、戦時中の様子などをお話になられます。
              
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◎ 零戦の復元機 資金難で身動き取れず 
「生まれ故郷の日本に残したい」資金協力を呼びかけ (2017.8.12、産経)
http://www.sankei.com/west/news/170812/wst1708120032-n1.html

 第二次大戦中の日本海軍の主力戦闘機で、
日本人が所有する唯一の零式戦闘機(零戦)の復元機が、
神戸市内の格納庫で行き場を失っている。
資金不足で移動できず、受け入れ先も見つからないためだ。
所有者で、ニュージーランドを拠点にビジネスを展開する石塚政秀さん(56)は
「零戦は戦争の悲惨さとともに、平和の意義を伝えてくれる。
国内にとどめ、多くの日本人にそれらを知ってもらいたい」として、
資金援助を呼びかけている。

 零戦は昭和50年ごろ、南太平洋のパプアニューギニア・ラバウルで
主翼と胴体が分断された状態で見つかり、残された設計図をもとに復元された。
世界には同機を含め、飛行可能な零戦は4機しかないという。

 石塚さんは「零戦が飛行する姿を多くの日本人に見てほしい」として
平成22年に復元機を3億5千万円で購入。
昨年1月には、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)から
約70年ぶりに日本の空を飛んだ。登録先は米国だが、
日本国内での受け入れ先を探している。


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◎ 太平洋に散った肉親思う 慰霊の旅続ける家族、歩み振り返る写真展 (2017.8.12、河北新報)

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170812_43004.html
 太平洋戦争の犠牲者の遺族がかつての戦地を訪れた様子を集めた写真展
「太平洋戦争慰霊巡拝」が、JR秋田駅前の商業ビル「フォンテAKITA」6階の
「あきた文化交流発信センター」で開かれている。17日まで。
 大仙市の農業高橋直観さん(68)が、慰霊の旅を続ける
秋田県遺族連合会に2000年から同行し、フィリピンやインドネシアなどで撮影した。
 米自治領テニアン島にあった旧日本海軍司令部の建物跡で戦没者に思いをはせる遺族の姿や、
パプアニューギニアで収集された遺骨を日本に持ち帰るための「焼骨式」などを写した約50点を展示。
焼骨式の写真は、遺族が大切な人の亡きがらと出合えた喜びと、
生きて再会できなかった無念さを捉えている。
 高橋さんは「戦争のむごさは言葉だけでは伝わらない。
写真を通じて残された人の思いに触れてほしい」と話す。
 午後1~7時(12、13日は午前10時から)。入場無料。
14日は休館。連絡先は同センター018(884)7341。

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◎ LNG:8月7~11日:DES北東アジア、品薄感台頭で強含み (2017.8.14、リムエネルギーニュース)
https://www.rim-intelligence.co.jp/news/select/article/622502
【DES北東アジア】
 DES北東アジアのスポット相場は先週、強含んだ。期近物の品薄感が台頭するなか、
9月後半着カーゴの需要を残す買い手が唱えを切り上げていた。
韓国および中国の複数エネルギー企業が9月後半着の需要を残しており、
スポットでの買付けを検討していた。しかし9月後半着のスポット供給余力は限られていた。
また台湾中油(CPC)が、同国で一部石炭火力発電所の送電設備の不具合により
不足した電力をガス火力発電で補う動きが見られた。
CPCは、米エクソンモービルが2日締めで実施したパプアニューギニアLNGプロジェクト(PNG)の
販売入札で9月25~30日着1カーゴを落札した。

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◎ 「今の平和に感謝」 千鳥ケ淵墓苑、遺族ら合掌  (2017.8.15、日経)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15H24_V10C17A8CC0000/
 終戦の日の15日、身元の分からない「無名戦士」や民間人の遺骨を納める
千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京・千代田)では、朝から多くの遺族らが訪れ、手を合わせた。
 千葉県松戸市の男子大学生(21)は3年連続で訪れた。
2013年10月に当時のケリー米国務長官が墓苑を訪れたことで「こんな場所があるのか」と知った。
曽祖父はフィリピン・レイテ島で戦死。
長崎出身の祖母が8月9日に黙とうする姿にも影響を受けた。
「せめて終戦の日は先人に畏敬の念をもち、今ある平和に感謝したい」と話した。
 会社役員の男性(70)は妻と2人で訪れた。
出征した父親は激戦地のラバウル(現パプアニューギニア)に送られたが、
九死に一生を得て帰還した。
戦い、亡くなった人々を思うと手を合わさないではいられない」。
一方で「墓苑を訪れる人が年々少なくなっている気がする。残念だ」とさみしそうに話した。

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◎ <終戦記念日>帰還しない仲間 病に倒れた友 戦争体験元兵士に聞く (2017.8.15、河北新報)
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170815_13007.html
 8月15日は終戦記念日。玉音放送が太平洋戦争の終わりを告げて72年となる。
満州事変から日中戦争、太平洋戦争と突き進み、
泥沼化する戦況に人々はいや応なく巻き込まれた。
元兵士で仙台市太白区の豊田力男さん(93)、宮城野区の佐藤政敏さん(91)に
市内で戦争体験を聞いた。

◎海戦、自分の命は自分で守るしかなかった/無職 豊田力男さん(93)

 宮城県丸森町の出身で、16歳で志願して横須賀海兵団に入団。
1941年8月に航空母艦「翔鶴」に整備兵として乗り組みました。
見上げるほど大きな船で、この船に命を託すのかと思ったのを覚えています。
 九州沖で訓練をしていた時、急に金華山沖への参集が命じられました。
「(米国ハワイの)真珠湾奇襲作戦に向かう。
諸君の命は艦長が預かる」と艦長に言われ、びっくりしましたね。
12月8日朝は暗い中、1次飛行隊が出撃。全て無傷で戻ってきました。
でも2次隊は総攻撃を食らい、機体に穴が開いていました。
 国民は大戦果だと喜んだが、米国の被害は古い艦船ばかりで空母は無傷。
海軍内には負け戦の始まりだとの声がありました。
空母が打撃を受けていたら、戦況は変わっていたかもしれない。
 珊瑚海海戦や南太平洋海戦にも参戦しました。
敵機が来ると甲板を逃げ回り、仲間は格納庫へ。
焼夷(しょうい)弾が格納庫の鉄壁を貫き、みんな死んでしまった。
誰も自分のことで精いっぱい。
自分の命は自分で守るしかないとつくづく思いました。

◎ラバウルでマラリアに苦しむ/無職 佐藤政敏さん(91)

 東京出身です。志願しなくても引っ張られると分かっており、
1942年に横須賀第2海兵団に志願。
整備兵の訓練を受け、第501海軍航空隊でラバウル(パプアニューギニア)
に行ったのが43年10月です。
 班で2機の整備を任されましたが、空襲でやられ、残り1機は出撃し帰らない。
担当する飛行機がなくなり、本隊がトラック島に移った後は
農耕作業と軍事訓練ばかりの毎日でした。
 空襲はひどかった。50~60機が飛行場を狙いに来た。
野積みの燃料入りドラム缶が爆発して、すっ飛ぶのを目の前で見ました。
畑仕事、戦車壕(ごう)を掘っている時も来るので、
防空壕に急いで入り込みました。
 陸戦隊に編成替えされてから銃と弾薬を渡されました。
1人200発はなかったですね。
こっちは三八式銃で、向こうは自動小銃や火炎放射器。
今考えれば、太刀打ちできるわけがない。
 マラリアに8回かかりました。2~3日休み、我慢して作業や訓練に戻りました。
最初は予防薬もありましたが、最後の方はなかった。
現地で偶然会った幼なじみもマラリアで亡くなったと聞きました。

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◎ Village Clean Uup (August 16, 2017、 Post-Courier)
http://postcourier.com.pg/village-clean-up/

Help PNG, a non-government organisation that concentrates
on marine environmental conservation, protection and development,
is undertaking a number of projects in Papua New Guinea to contribute
to a cleaner environment.

Based in Port Moresby, Help PNG wants to develop marine resources
but at the same time protect them from exploitation or damage.

Help PNG chief executive officer Frank Butler said
one of the NGO projects will see old tyres being used to build a reef system.

"Our main focus is a rubber-reef project where we take used car tyres,
clean them up and connect them together using a special system that
we've developed and then place them in the ocean," Mr Butler said.
"So we are talking about thousands of tyres which normally will go to landfill.

But in this instance, they are going to go and create a rubber reef.
Now that will be the structure that marine animals will use
as a habitat and as a feeding ground."

Mr Butler said the rubber-reef project is in development and
"is not a done deal" as they are looking at ways on how best to attach,
secure and deploy the contraption.

He added that the biggest challenge is getting enough funding
for training of locals and implementation of the project
and is urging organisations or companies to assist Help PNG.

Mr Butler said when the rubber-reef project is properly developed;
it will be piloted in Bootless Bay in Central Province.

Help PNG's other programs include harbour clean up,
proper and sustainable ways of disposing aluminum cans
and plastic bags, education awareness on impacts of littering.

"Part of the program is to teach people not to litter," Mr Butler said.

"When it comes to littering and cleaning rubbish,
people think it is somebody else's problem.
So we have an issue with ownership and taking care of the environment."

Mr Butler and staff from Help PNG, JICA
and Conservation and Environment Protection Authority recently participated in
a clean up at Tubusereia village in Central Province.
A clean up program is planned for Hanuabada village in NCD next month.


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◎ 平和の祈り 次世代へ...前橋 (2017.8.16、読売/群馬)
http://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20170816-OYTNT50086.html
・戦没者追悼式に1700人

 72回目の終戦記念日を迎えた15日、県主催の戦没者追悼式が前橋市関根町の
ALSOKぐんまアリーナで開かれた。
戦没者の遺族や県、市町村の関係者ら約1700人が参列。
県内の戦没者約5万人を悼み、戦争の記憶を風化させないことを誓った。

 大沢知事は式辞で、多くの戦死者を出したパプアニューギニアの戦跡を
昨年11月に慰霊巡拝したことに触れ、
「戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代にしっかり伝えることが私たちに課せられた使命」と述べた。
正午に参列者全員で1分間の黙とうをささげた。

 この後、市町村長を代表して、清水聖義・太田市長があいさつに立った。
父親がニューギニア戦線の経験をまとめた記録の一部を読み上げ、
「戦争の経験者が少なくなっている。祈りを次世代につなげたい」と追悼の辞を述べた。

 若い世代からは、沼田高校3年生、沼田女子高校3年生の生徒一人ずつが登壇した。
「戦争を経験した人から話を聞くことが難しくなっている。
だからこそ自ら学び、次世代へ語り継がなくてはならない」と、
2人で平和への誓いを読み上げた。

・伊勢崎空襲 語り継ぐ...講演会に150人

 伊勢崎市文化会館(昭和町)では15日、講演会「伊勢崎空襲の記憶」が開かれ、
約150人が参加した。

 伊勢崎空襲は終戦直前に起こり、40人が亡くなった。
講演会では、国民学校3年だった中津川賢三さん(81)が自らの体験を語った。
「家は焼け落ち、バケツリレーの訓練をしていたが役に立たなかった。
身が縮れるような熱さだった」と振り返り、
「命ある限り平和のために活動したい」と述べた。

 「伊勢崎空襲を語り継ぐ会」の佐藤好彦会長(61)は、焼夷爆弾や、
「旧時報鐘楼」など戦争の遺構について写真を使いながら説明した。
当時を思い出し、涙ぐむ参加者もいた。


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◎ 終戦の日に思う 滋賀県豊郷町・高橋佐智子(主婦・76歳) (2017.8.16、毎日)

https://mainichi.jp/articles/20170815/ddn/013/070/050000c

 8月15日。終戦の日が今年も巡ってきた。私の父は昭和20(1945)年5月19日、
現在のパプアニューギニアの激戦地・ウエワクで戦死した。

 父は私が生まれて11カ月後に出征した。私は玄関で父を見送ったと母から聞いている。
日本の戦況はひどくて、もっと早くに白旗を揚げていれば
沖縄戦も原爆もなく、父も死なずに帰って来られたのではないかと、
8月が来るたびに思う。

 父は南の国から、文字のまだ読めない姉と私に、はがきを送ってきてくれていた。
カタカナ書きの内容は、「毎日バナナやパイナップルを食べています。
戦争に勝ったらお土産をいっぱい持って帰りますから、
二人でお利口にして待っていてね」と書かれていた。

 本当は楽しいことばかりではなかっただろう。
食料が届かず、野生動物や草木を食べて苦しんでいたと聞く。
かけがえのない大事な人たちが、苦しみながら、遠い故郷の親や妻子を思いながら、
命を落としたのだ。

 戦争は人を殺し合う悲しい行為である。
そんなことは全世界からなくなってほしい。

 世界中の人たちが同じ方向を向いて平和を考えることは、
なかなか大変なことだと思う。
でも、だからこそ、政治指導者は子や孫が安心して暮らせる世の中にしていってほしい。

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◎ 「体の続く限り通いたい」 山梨県護国神社、戦没者追悼式に100人 (2017.8.16、産経ニュース)

http://www.sankei.com/region/news/170816/rgn1708160031-n1.html
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 戦後72年を迎えた「終戦の日」の15日、甲府市岩窪町の山梨県護国神社で
「県下戦没者追悼式」が行われた。
遺族ら約100人が参列し、国に殉じた人たちへの感謝と平和への思いを新たにした。

 羽中田進宮司の祝詞奏上の後、同神社の奉賛会会長を務める後藤斎知事が
「国の発展や家族の幸せを信じて戦地に向かい帰れなかった先人たちに祈りをささげる。
尊い命の犠牲の上に今の社会が成り立っていることを自覚し、次の世代につないでいきたい」と
追悼の言葉を述べ、高齢になった遺族の健康を願った。

 正午に全員で黙祷(もくとう)し、玉串を奉納した。

 山梨市鴨居寺の飯塚時子さん(95)は、夫の実平さんが昭和20年5月、
フィリピンで戦死した。
飯塚さんは「出征後に長女が生まれ、終戦直後は働きながら育てました。
優しい夫で思い出すと涙が出ます」と振り返り、
「追悼式と春、秋の例大祭は体の続く限り娘と一緒に通います」と話した。

 北杜市長坂町大八田の堀内士朗さん(76)は、
32歳だった父、吾一さんが昭和17年4月、パプアニューギニアで戦死した。

 「当時、私はまだ物心ついていなかった。
毎年、追悼式に参列し、父の存在を思い出します」と語った。


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◎ メルボルンが7年連続で首位、住みやすい都市ランキング (2017.8.17、ロイター)

https://jp.reuters.com/article/liveable-city-melbourne-idJPKCN1AX04T

ロンドン 16日 ロイター] - 英誌エコノミストの調査部門
エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)がまとめた
2017年の「世界で最も住みやすい都市」ランキングで、
オーストラリアのメルボルンが7年連続で首位となった。

EIUは世界140都市を対象に、犯罪、医療、環境、汚職、検閲などの項目を基に
「住みやすさ」を数値化。
リポートは、多くの都市で「テロの脅威への認識が広がっている」と指摘したが、
この10年で見られた住みやすさの低下傾向は落ち着いたという。

メルボルン以下のベスト10は、
ウィーン(オーストリア)、
バンクーバー(カナダ)、
トロント(同)、
カルガリー(同)、
アデレード(オーストラリア)、
パース(同)、
オークランド(ニュージーランド)、
ヘルシンキ(フィンランド)、
ハンブルク(ドイツ)となった。

一方、最も住みにくい都市は、最下位から
ダマスカス(シリア)、
ラゴス(ナイジェリア)、
トリポリ(リビア)、
ダッカ(バングラデシュ)、
ポートモレスビー(パプアニューギニア)が続いた。

また、過去5年間に住みやすさが最も改善した5都市は、
テヘラン(イラン)、
ドバイ(アラブ首長国連邦)、
アビジャン(コートジボワール)、
ハラレ(ジンバブエ)、
コロンボ(スリランカ)だが、いずれもランキングの下位半分に位置している。

住みやすさが最も低下したのは、
キエフ(ウクライナ)、
ダマスカス、
トリポリ、
デトロイト(米国)、
モスクワ(ロシア)だった。

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◎ 浮力を利用 95歳元海軍大尉が挑戦 逗子の竹林久知さん
「戦争は資源争い」反省胸に (2017.8.17、毎日/神奈川)

https://mainichi.jp/articles/20170817/ddl/k14/040/130000c

 同じ悲劇を繰り返してはいけない--。
逗子市の元海軍大尉、竹林久知さん(95)が浮力を利用した
新エネルギーの開発に情熱を注いでいる。
大東亜戦争の発端が石油だったように戦争は資源の争い。
日本はエネルギー自給率を上げないとだめだ」と話し、
かつて資源を求めて戦線を拡大した過ちへの罪滅ぼしの思いが、
竹林さんを突き動かしている。【堀和彦】

 猛暑が続いた7月下旬、逗子市の町工場のガレージは汗が吹き出るほどの
蒸し暑さだった。
「これじゃだめだよ、パイプが太すぎる」。
自ら設計した発電機の試作機の製造に立ち会い、細かい注文をつけていた。

 名古屋市出身。1941年に旧海軍士官の養成学校、
海軍機関学校(京都府舞鶴市)を卒業。
戦艦扶桑に乗船し、太平洋戦争ではパプアニューギニアのラバウル戦線に出た。
終戦時は大尉として呉軍港の倉橋島で特殊潜航艇「蛟龍(こうりゅう)」の整備を担当。
「呉で見たキノコ雲、空が光ったのを今でも覚えている」と目にしわを寄せる。
100人ほどいた同期のうち生き残ったのはわずか3分の1ほどだ。
「仲間の分まで3倍生きてやろう」と誓って生きてきた。

 90歳を過ぎ、同期は自分の他に1人だけになった。
「今の自分が日本に残せることはなにか」を考え、海軍時代の経験が浮かんだ。
ボイラーを清掃するために下から内部をのぞいた際、体を吸い込まれそうになったことがある。
内部が軽い気体で占められ、周囲の空気との比重差が発生し、
気体に浮力が発生する「煙突効果」と呼ばれる現象だった。
「あの浮力で電力を作れないか」と思い立った。

 風呂場で試作機を作り、何度も実験した。
U字形パイプの上下を逆にして湯船に浮かべ、上部に水車を取り付けた。
水中から送風機で空気を注入すると水車が勢いよく回った。

 早速、設計図を全国の企業や大学に送付してみた。しかし、反応は一様に鈍い。
自ら出向いて説明もしたが「熱力学の法則に反する」と門前払いが続く。
諦めかけた頃、「面白そうじゃないか」と身を乗り出した男性がいた。
逗子市内で町工場を営む守屋諦蔵さん(78)だ。
「大手企業は金にならなきゃやらないじゃない」とロマンを感じ、設計図を引き受けた。

 今年6月ごろから2人で議論を重ね、
鉄製の管が溶接された高さ1メートルのドラム缶の試作機を完成させた。
水で満たされた管に送風機で空気を送り、浮力を生み出し、
ドラム内の歯車を動かすという仕組みだ。
まだ発電量が消費電力を下回るため改良が必要だが、「新しいことはそう簡単にはいかない。
これからですよ」と本気で実用化を目指している。

 究極の目標は「どこでも誰でも発電できる世の中」を実現することだという。
持病やケガはない。元気な95歳の元軍人は「発電を見届けるまで死ねない」と笑う。


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◎ 上原敏の会 (主催 矢野信雄氏 当協会会員)

パプアニューギニアで戦死された昭和歌謡の有名歌手「上原 敏さん」を偲ぶ会
が今年も次の内容で開催されます。

昭和63年に日本橋「千疋屋」からスタート致しました上原敏さんの会も、
本年平成29年で30年を迎えることが出来ました。この間2年間の充電期間を頂き
休止い致しましたが、その後も元気に再開し、本日を迎えられましたのも、偏に
ご参加下さいました皆様方のお蔭と心より感謝致しております。
今年は過去30年の歴史を振り返り、貴重な敏さんの出演映画を始め、皆様と共に
感涙に咽んだ数々の作品を今一度ご堪能頂ければと企画いたしました。

土曜の午後のひと時、美しい上原敏さんの唄声の世界でお過ごしください。

「日」 平成29年10月7日(土曜日)
「時間」13時から17時予定
「場所」専修大学 神田キャンパス5号館(4階)541教室
「交通アクセス」 東西線、半蔵門線、都営新宿線 九段下下車 5番出口徒歩3分
         都営三田線、都営新宿線、半蔵門線 神保町駅 A2出口徒歩3分

「会費」 3000円

お申込み: 協会事務局 info@jpng.or.jp までメールで (申込代行)


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◎ 年会費のお願い

当協会は皆様の貴重な年会費によりボランティア運営されております。
皆様のご協力を重ねてお願い申し上げます。

既にお振込みを頂きました皆様には深く感謝申し上げます。

尚、協会の定款に従い、年会費のお振込みが無い場合でも、メルマガなどの
提供は一年間継続させていただきますが、退会などのお手続きは
事務局までメールで結構ですので、御連絡をいただけましたら幸いです。

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